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第二次振興期

日清戦争後の1895年、台湾は日本の統治下に置かれることになりました。
日本政府は、台北に総督府を置き、製茶機械を導入したり、茶の検査機構を設立したりするなど、
茶産業の近代化を図ることによって、茶の品質を向上させました。
それにより、茶葉の製造量や輸出量が飛躍的に上昇していったのです。
しかしながら、日本の方針により作られるお茶は紅茶や緑茶が主流でした。

1903年には台湾北部の桃園県に茶製造試験場(現在の台湾省茶業改良場)が設立され、茶樹の研究や製品の運搬技術など、
お茶の品質を維持するためのさまざまな研究が行われてきました。

その過程で、それまで包種茶のように自由に曲がった形が主だった茶葉が、現在主流となっている、半円球形に変化してきました。

こうして、繁栄していった台湾茶産業ですが、1941年に始まった第二次世界大戦により、
今まで台湾茶を生産していた土地や労働力は食糧の生産に回されてしまいました。
そのため、茶葉の輸出も出来なくなり、台湾の茶業は衰退の一途をたどります。